〜日々を丁寧に過ごすということ〜
10月18日、第三日曜日。
今日は、私にとってかけがえのない場所である、観音寺の定例坐禅会に参加してきました。
坐禅を終えた後には、方丈様からお話をいただきます。
今回のお話の題は「雨奇晴好(うきせいこう)」。
中国北宋の詩人、蘇軾(そしょく)の詩に由来する言葉で、雨の日には雨の日の、晴れの日には晴れの日の、それぞれの美しさがあるという意味です。
私たちは普段、晴れの日を喜び、雨の日を残念に思うことがあります。
快適なものは良い、不快なものは良くない。
知らず知らずのうちに、物事を二つに分けて考えているのかもしれません。
方丈様のお話は、どちらか一方を良しとするのではなく、それぞれの良さをそのまま受け止めることの大切さを伝えてくださいました。
私の心に留まった、あるお話
今回、私の心に特に留まったのは、方丈様ご自身の修行時代のお話でした。
休日のない修行生活の中で、雨の日には何となく休息のような感覚があり、雨粒が屋根をたたく音に安堵したことを、今でも思い出すと書かれていました。
この部分を読んで、私はふと考えました。
方丈様は、初めから雨の日の良さを探していたのでしょうか。
目の前の修行に取り組む日々。その中で、雨の日に安堵を感じる瞬間があった。
それは、誰かから雨の日の良さを教わったからではなく、ご自身の経験を通して気づかれたことだったのではないでしょうか。
もちろん、そのときの方丈様のお気持ちを、私がすべて分かるわけではありません。
それでも、このお話から、私は一つのことを考えました。
聞いて理解することと、自分で気づくこと
人から話を聞いて、大切なことだと感じる。
言葉の意味を理解し、なるほどと思う。
それも大切なことです。
けれども、話を聞いて理解することと、自分自身の経験を通して気づくことは、少し違うように思います。
例えば、誰かから「雨の日にも良さがありますよ」と聞けば、その意味は理解できます。
しかし、実際に雨の日を過ごし、その雨音に心が安らぐ経験をしたときには、同じ言葉でも受け止め方が違うのではないでしょうか。
頭で理解していたことが、自分の経験と結びつく。
そのとき、初めて実感できることがあるのだと思います。
そして、以前に聞いた言葉が、何年もたってから、ようやく自分の中で意味を持つこともあるのでしょう。
日々の一つ一つを丁寧に
今回のお話から、私は、毎日の一つ一つを丁寧に過ごすことの大切さを感じました。
何かに気づこうと力むのではなく、目の前にあることに丁寧に向き合う。
仕事でも、日々の生活でも、人との関わりでも。
その積み重ねの中で、今まで気づかなかったことに、ふと気づく瞬間があるのかもしれません。
気づくために取り組むのではなく、目の前のことに丁寧に取り組んでいるからこそ、気づけることがある。
私は、そんなことを思いました。
雨の日には雨の日の良さがあり、晴れの日には晴れの日の良さがある。
そのことを知識として知るだけでなく、自分自身の経験を通して感じられるようになる。
それは、日々を過ごす中で、少しずつ育まれていくものなのかもしれません。
今日いただいたお話を、これからの日々の中でも大切にしていきたいと思います。
観行満禅

聞いてわかること、自分で気づくこと
整体療術院UP
この日の坐禅会では、もう一つ、柿を通して考えたことがありました。
「渋柿の渋そのままの甘さかな〜自然のままと、変わっていくこと〜」も、よろしければご覧ください。https://202507091657fv77e465.conohawing.com/persimmon-natural-change/
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