はじめに
坐禅と瞑想って同じもの?
そんなふうに思われている方も、きっと少なくないのではないでしょうか。
日常の中でも、「どう違うんですか?」という声を耳にすることがあります。
私は地元のお寺で、毎月定例の坐禅会にもう10年ほど参加しています。
そこでの体験を通して、「ただ坐る」という在り方が、日々のものの見方や整体の姿勢ともつながっていることを感じるようになりました。
今回は、坐禅と瞑想の違いをきっかけに、「今をどう捉えるか」について少しお話ししてみたいと思います。
瞑想と坐禅のちがい
一般的な瞑想は、「集中したい」「リラックスしたい」「心を整えたい」など、目的を持って行うものが多いです。
呼吸に意識を向けたり、イメージを思い浮かべたり、雑念を手放す練習をすることもあります。
一方、曹洞宗の坐禅は──
目的は持ちません。ただ坐る。ただ今にある。
これを「只管打坐(しかんたざ)」といいます。
思考を止めようとせず、雑念が浮かんでも、そのままにしておく。
良いも悪いも判断せず、姿勢を保ち、呼吸とともに今に坐っているだけです。
「ただ今を感じる」ということ
私が通っている坐禅会では、坐る前にこう伝えられます。
「ただ今を感じてください」
これは「無になれ」とか「何も考えるな」という意味ではありません。
足の接地感、呼吸の流れ、背筋の伸び、衣服の感触、空気の温度──
そして、目に映る光や陰影、外の音、におい──
そういった今この場にあることを、ただそのまま受け入れて坐っているという感覚です。
曹洞宗の坐禅では、目を閉じません。
斜め45度くらいに視線を落とし、軽く目を開けたまま坐ります。
これは、目を閉じると妄想を追いかけやすくなるからだと教わりました。
見えるものも、聞こえるものも、浮かぶ思考も、すべてそのままにしておく。
坐禅は、今ここにある自分に「戻る」時間。
そしてそれは、「どうにかしようとしない」在り方そのものだと感じています。
何かを目指さないという在り方
これは、坐禅だけに限ったことではないと思っています。
- 武道では、「勝とう」とすると体が力みます。 無心のときに、自然と動きが出る。
- 商売でも、「売ろう」とすると伝わらなくなる。 本当に伝えたいことに集中している人の言葉が、結果として届く。
- 整体でも、「治そう」と思いすぎると、体の自然な反応が見えなくなることがあります。
「何とかしよう」と前のめりになるのではなく、
今の状態をまっすぐに見て、そこから必要なことだけを行っていく。
この姿勢は、坐禅にも、整体にも、そして日々の暮らしにも共通する大切なあり方だと感じています。
おわりに
坐禅は、日々の中でつい先を急いだり、結果を求めてしまいがちな私に、
「ただ、今に戻っていいんだ」と教えてくれます。
瞑想もまた、日々を整えるための素晴らしい実践のひとつです。
ただ坐ること、ただ今を感じること──
それぞれの在り方を知ることで、きっと自分に合った整え方が見つかるのではないでしょうか。
坐禅は、特別な時間にかしこまって行うものではないと教えていただきました。
静かに背すじを伸ばし、呼吸を感じる──
それだけで、今の自分に戻ることができるのです。
この記事を読んでいただき、ありがとうございました。
よろしければ、そっと姿勢を整えて、そのまま今を感じてみませんか?
(観行満禅)
整体療術院UP
新潟市秋葉区北上2-13-9
0250-22-5973
顕上義宗(けんじょうよしむね)
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